おそるおそる、といったように手の先に触れられた。見れば不安げな表情で彼女はこちらを見ていた。千秋は、ふと笑ってその手を握る。
その手が意外に冷たくて、もう一度包み込むように握りなおした。
電光掲示板はちかり、と『搭乗中』へと文字を変える。さぁ、と千秋は少し促した。
重そうなボストンバッグを持ち上げて、のだめは千秋を見つめた。
元気で、とありきたりの言葉を言う。
ハイ、先輩も。のだめが答えた。
ゆるゆると手が離れた。泣き出しそうな顔をしているので思わず頬を緩める。
がんばれよ、泣き言言って帰ってくんなよ、皮肉を交えれば、先輩こそ、といつもの切り返し。今度こそのだめがじゃあ、と言って歩き出す。その背中は小さいけれど堂々と背筋が伸びていた。
いつまでもお守りでいるわけにはいかないから。
一度も振り向かずに行ってしまったその背中を見送って、千秋は踵を返し歩き始める。
彼女は彼女で、きっと切り抜けられるようになるだろう。臨機応変な対応も、人間関係も。
次に会うのがいつなのか二人はわからないけれど。千秋はパリで、のだめはウィーンで、また新たな一歩を踏み出す。次の再会には、きっと変わってるところもそのままなところもあるだろう。それでも音楽のつながりはかわらないはずだ。
音楽でつながってる、ですよネ?
出発前ののだめの言葉。確かにそのとおりだよ。
パリの空は晴れている。冬の始まりはもうすぐそこ。雲ひとつない空が、彼女の行き先を快く示してくれますように。